医療機関向けSaaS「Henry」プロダクトデザイナーの青山です。2022年より株式会社ヘンリーのデザイン顧問として参画し、代表の逆瀬川をはじめとするプロダクトチームとともに開発に取り組んでいます。
Henryは、病院の業務の中心として、電子カルテ記録、受付、指示伝達、会計などの役割を担う「基幹システム」です。
スタートアップ企業であるヘンリーでは、目指す社会変革を実現するために、ゼロから一気に駆け抜けるような開発のスピード感が求められます。その一方で、プロダクトとしてのHenryが医療現場にとっての基幹システムである以上、命に関わる業務を止めないために、現場で確実に使えることを担保したリリースが求められます。
この “速さ” と “確実さ” を両立させるための鍵となるのが”高速な仮説検証サイクル”の実現です。そのサイクルを回す原動力として、ヘンリーのデザインとデザイナーは、重要な役割を担います。
今回は、ターゲット市場の拡大に対して現在取り組んでいる、 プロダクトのフルリニューアルを例に、ヘンリーにおけるデザイナーの役割についてまとめました。
ヘンリーのプロダクトデザイナーは、スタートアップとして求められる “速さ” と、医療現場の基幹システムとして求められる “確実さ” の両方を実現することに向き合っています。
株式会社ヘンリーは「社会課題を解決しつづけ、より良い世界をつくる」を企業理念に掲げるスタートアップです。日本の医療費は2022年現在で46兆円を超え、超少子高齢化の進行とともに更に増え続けています。また、地方の医療従事者不足も深刻で、医療サービスの継続性に大きな影を落としています。ヘンリーは、医療現場の生産性向上により、これらの大きな問題を1日でも早く解決することを社会使命としています。
その解決手段の中心となるのが、プロダクトとしてのHenryです。私たちは、プロダクトを通じて、素早く価値を提供し続け、最短距離でこの大きな問題を解決に向かわせなければなりません。
医療現場の生産性向上をメインで扱うプロダクトとしては、40年以上前から電子カルテ・レセプト会計システムがありますが、未だにオンプレミス型(*1) の製品がメインです。長い間変化の少なかったマーケットに対して、ヘンリーは、クラウドベースのサービスをゼロから開発するチャレンジをしています。新しいサービスとして、新しい価値・体験を産み出し、ユーザーに最短で届けて、社会の変化を加速させることを目指しています。
前述の通り、Henryは命に関わる業務システムです。ユーザーの入力や情報把握のミスは、そのままの意味で命取りになり得ます。例えば、カリウム製剤は、投与量や投与方法を間違うと不整脈や心停止など重大な事象につながります。また、医療法や診療報酬制度など医療ドメインならではのルールがある点も特徴的で、特に会計部分は、法令やガイドラインを正しく遵守し、会計を行うことが求められるSoR(System of Record)(*2) のソフトウェアになります。
上記2つの理由から、ユーザーとシステムのUIを介した相互作用、およびその前提となるユーザーの業務理解において、Henryは通常の業務系SaaS以上の確実さが求められるプロダクトと言えます。
この “速さ” と“確実さ” という、一見対立する要求を両立させ得る唯一の解は“仮説検証サイクルの高速化”です。
多くの場合、業務基幹システムの開発では、要件定義の段階で業務フローやシステム要求仕様などのドキュメンテーションに膨大な時間が費やされます。開発へのデザイナーの参加は、少なくとも要求仕様が固まってからであることが多いでしょう。関係者間で具体イメージが共有できず、検証も不可能な状態が長く続くため、後戻りできない段階になってから前提の誤りに気づくこともよくある話です。また、要件が固まった状態からのデザインではソリューションの幅を広げにくく、デザイナーが価値を最大限発揮することができません。
それに対して、Henryの開発では段階的にサイクルを重ねて、素早く検証していきます。実装フェーズにおいてもアジャイルの原則に則ったアプローチを用いていますが、その前段となるディスカバリーフェーズにおいて、コンセプト検証や具体的なプロトタイピングとテストなど、開発内容への確信度を高めるための仮説検証をデザインが主導している点が特徴です。
コンセプトの検証段階では、理想の姿を確実性を求めずに仮説として描き、具体的なコンセプトデザインに落とし込みます。ソリューションの方向性が定まった後は、発散と収束を繰り返しながらイテレーションを重ね、コンセプトデザインを実装用のデザインへと連続的にブラッシュアップし、仮説の確度を高めていきます。
コンセプトの検証段階では、要件定義は全く完了していません。仮説としてユーザーが達成したい最上位の要求のみをすり合わせ、その他の達成したいことは粗い状態で一気にデザインを描くことで、関係者の目線が合った状態で議論が出来ます。メンバーが具体的なイメージを見て議論するため、ドメインエキスパートなどのメンバーも具体的な仮説や課題を積極的に出すことが可能になり、議論の質が大きく向上し仮説の精度を高めることにつながります。
コンセプトの検証が完了し方向性が固まれば次のステップに進みます。この段階では、前段階で明らかになった課題を残しつつ、デザインをブラッシュアップしていきます。この段階では、細かいユーザー要求を満たせる現実的な案であることが重要であるため、なるべく具体的なプロトタイピングを行います。同時に、裏ではプロダクトオーナー(以下、PO)や開発者がユーザー要求や仕様をさらに洗練させ、最終的な要件に近づけていきます。デザインと要求仕様をブラッシュアップする段階で、新たにユーザー要求の仮説も出てきます。この要求と課題の整理、デザインと仕様化のサイクルを繰り返しイテレーションとして行うことにより、開発段階から価値検証を繰り返していきます。
単により良いものを早くリリースするだけでなく、作り直しのリスクも最小限に抑えることで、結果として、可能な限りベストなユーザー体験への到達するための距離を最短に保つことができます。このようなアプローチを活用し、デザインの価値が発揮されたのがHenryのフルリニューアルプロジェクトでした。
Henryのローンチから3年が経った2024年初めより、プロダクトの大部分をリニューアルするプロジェクトに着手しました。
体制としては、プロダクト全体に関わる横断的な意思決定をスピーディに行うために、このタイミングで代表の逆瀬川がPOに入り、青山と逆瀬川が中心となりリニューアルプロジェクトを進めていきました。
Henryのローンチ直後は、小規模な外来専門の医療機関を主なターゲットとしていました。その後、2023年以降は市場拡大を目指し、入院患者を多数抱える大規模医療機関へもサービス提供を広げましたが、小規模、外来診療向けに最適化された構造のまま拡張を進めていくことには限界を感じるようになっていました。
当時、既存の仕様や実装の制約に合わせた対応を強いられることで、様々な問題が発生していました。 デザイナーとして想像し得るベストなデザインを作成しても、その後「現実的な案」として大幅な再検討が必要でした。また仕様・実装としても、1つの機能を追加するたびに複雑に絡み合った制約条件を検証する必要があり、開発スピードの著しい低下を招いていました。
このような状況下では、チームが膨大な労力を費やしても、ユーザーにとっての価値として十分な体験を提供できないジレンマに陥ってしまいます。投入するリソースに対して得られる成果が限定され、市場での競争力を失ってしまうことに強い危機感を抱いていました。
プロダクトデザインを担当している立場からこのような状況を見て、代表の逆瀬川に「今こそ、プロダクトをフルリニューアルする時ではないか」と想いを伝えました。
大規模なプロジェクトになるものの、現状の開発状況を踏まえた将来の事業計画や、ユーザー体験としての理想から逆算すると、なるべく早い段階でプロダクトをリニューアルすることが最適だと確信していました。逆瀬川はその提案をすぐに受け入れ、「やりましょう!」の返答からプロジェクトがキックオフすることになりました。
通常このような規模のプロジェクトではプロジェクトスコープや方針、進め方の認識合わせだけで2、3ヶ月以上かかることも多いですが、私たちはできる限り素早く確実に動き出せる方法を模索しました。デザイナーとしてまず重要視したポイントは、関係者全員が実感と具体性を持った議論を可能にするための具体的なビジュアライズを行うこと、また、その段階までのプロセスをコンパクトにし、素早く行うことです。
具体的な進め方として、デザイナーとPOが二人三脚で進める体制を構築し、デザイナー主導でソリューションコンセプトとデザインを提案するアプローチを取りました。NotionやFigma上の資料からのインプットに加え、デザイナー自身が医療機関に訪問しプロジェクトや実作業をリード、不足する情報をPOが補完します。必要に応じて設計を担当する開発者も加わり、議論を深めながら進めていきました。
最初のアクションとして、まずシンプルなテキストで、フルリニューアルにおけるソリューションコンセプトと対応するユーザーペイン、リニューアル後のプロダクト情報構造をまとめ、提案を行いました。
その内容に対して、課題の重要度を議論し目線が擦りあったタイミングで、一段階具体的なソリューション仮説としてのデザインとプロトタイピングに着手。ワイヤーフレームや低解像度プロトタイプは作成せず、リニューアル後の具体的なデザインを始めから解像度高くアウトプットしていきます。
逆瀬川がリストアップした内容をベースに、デザインスコープは随時変更し、ユーザー要求の言語化や正確性の検証も後回しとして、仮説を高速で具体化することを追求しました。
そうして作成したコンセプトデザインに対する検証のポイントは大きく2つのみとしました。1つ目は「重要度の高い課題を適切に解消できているか」、2つ目は「今後の機能拡張に対応できる構造になっているか」。
1つ目に関しては、事前にテキストでの提案に対して解消したいユーザーのペインとコンセプトを合意していたため、コンセプトデザインのタイミングでも大きくずれることなく解決することが出来ました。
一方で今後の機能拡張への対応については、今後追あり得るユーザー要求と機能に関する議論を重ね、2サイクルほどイテレーションを回し拡張性が問題ないことを確認していきました。
結果として、解像度高く具体的なビジュアライズとコンパクトなプロセスにより、プロジェクトの起案から検証までを、わずか1ヶ月で走りきっています。社内のドメインエキスパートや開発者、経営と目線を合わせることもでき、社内からは「ぜひやりたい!リニューアルに期待」という声も多く挙がりました。
ソリューションの方向性として合意が出来たため、次の段階であるリリース戦略づくりと初期リリースの要求仕様精査へと移ります。
次の段階の要求仕様精査でも、複雑さの高いユーザー要求に対してはデザイナーが具体的なシナリオに沿ったプロトタイピングを行うことで、早期に業務遂行の確実さを検証可能にすることができました。
例として、リニューアル対象のうち外来診療部分をデザインした際のプロセスについて説明します。外来診療では医療機関は、患者に対して、受付をし、診察検査等をして、会計を行う、という一連の業務を当日中に行います。
対象とする画面数は少ないのですが、1画面で求められるユーザー要求が多く、かつ一部の要求が衝突している状態だったため、すべての想定業務フローに対して良い体験が提供できるデザインとなっているのか、主要なインタラクションと画面のデザイン時点でのみからでは判断出来ない状態でした。
そこで、実際の運用フローに沿ったテストシナリオと実データのサンプルを、POとドメインエキスパートとで作成、デザインに実例をマッピングしたプロトタイプをつくりました。このプロトタイプを用いて、PO中心に社内外でユーザーインタビューを行い、デザイナーが同期的にデザインを更新します。
このように実例を活用した具体性の高いプロトタイピングを行うことで「具体的なユースケースに対して耐えうるものになっているか」「運用面で支障が出ないか」を細かく検証すると同時に、デザインをより確実なものへと変化させていくことができます。デザインだけでなく同時に運用フロー側も更新を行うことで、双方の一貫性を保ちつつ、より理想的な流れで業務が行えるようブラッシュアップすることができました。
現在、プロジェクトは順調に進み、2024年に最初のリリースを実施。段階的にアップデートを重ねています。すでにリニューアルした機能については、意図していた中小病院のお客さまはもちろん、クリニックを運営する既存のお客さまからも、非常にポジティブな反応をいただいています。
また、社内の開発プロセス、開発チームとしては、早期の仮説検証を経たことで、ユーザーに提供する価値の単位を把握してスコープを適切に分割し、開発優先度をつけることができました。その結果、段階的なリリースによって新しい価値を迅速に届けることが可能になっています。
また、具体的なプロトタイプを通して、ビジネス職のメンバーも仕様レビューに参加できるようになり、レビューの精度が向上しています。全体として手戻りが大幅に削減され、全体の開発コストの抑制にもつながりました。
医療現場の業務フローは非常に複雑であるがゆえに、中小病院やクリニックではデジタル化が十分に進んでおらず、多くの課題が未解決のまま残っています。だからこそ、業務を深く理解し、現場に必要不可欠となるシステムを構築することで、医療の在り方、さらには社会の構造そのものを変えていくことさえできるでしょう。スタートアップであるヘンリーと、そのプロダクトであるHenryが、この難易度の高い挑戦に取り組むためには、”仮説検証サイクル”を通して変化を続けていくこと、そして、その変化を可能な限り”高速化”することが不可欠であると考えています。
そして、ヘンリーにおいて仮説検証サイクルを高速に回すための原動力となっているのは、デザインの力です。
ヘンリーでは、私がデザイン顧問兼プロダクトデザイナーとして関わるとともに、UIに強みを持つエンジニアメンバーが複数参画し、代表の逆瀬川もUXデザイナーとしての経験を持っています。ドメインエキスパートやUXリサーチャーも含め、デザインを軸に事業を推進できるための土壌があり、デザインの力で重要な社会課題にアプローチできる刺激的な現場です。そしてこれから、本格的にデザイナーの採用に取り組み、組織としてのデザイン力を次のフェーズへと引き上げていきたいと考えています。
今後も、ヘンリーにおけるデザインの取り組みを、具体的な事例とともに紹介していきますので、ご注目ください。