any株式会社でデザインマネージャーを務めている三宅です。
私は、2023年1月に1人目の正社員デザイナーとして入社。主力事業「Qast」(企業のナレッジマネジメントを支援するクラウドサービス) のBXデザイン / プロダクトデザイン、コーポレートのデザイン、デザイナー採用を中心とした組織づくりなど、anyにおけるデザイン体制の構築・運営全般を幅広く担当しています。
入社から現在までの約2年間で、サービスのリブランディング、レベニュー活動に必要な各種マテリアルのデザイン、プロダクトの新機能 / 既存機能のデザイン、プロダクトのUIリニューアルに向けた会議体の立ち上げと運営、コーポレートのリブランディングなど、様々な活動を展開してきました。
アーリーステージのスタートアップに1人目デザイナーとして入社してから、会社が直面していた事業課題の解決に向けて、どのようにデザイン活動を計画・実行してきたか。今回の事例では特に「サービスの信頼性の向上」というテーマに焦点を当て、ご紹介したいと思います。
私は2022年の1年間、業務委託としてanyに関わったのち、2023年1月に正社員として入社しました。
当時のanyは社員数が全体で16名 (私が17番目の社員)。デザイナーは業務委託のパートナー (弊社では「anyフレンズ」と呼びます) が3名いるのみ、という小規模な体制でした。
2022年6月にシリーズA資金調達を発表して半年ほどが経過したタイミング。実績と将来予測の見込みが厳しく評価されるシリーズBに向けて、事業をより強くし、成長スピードを一段と加速させるための道筋を模索していた時期でした。
営業人員やマーケティング費用に限りがある中で、何を成長ドライバーとしていくか。そこで私たちが目指したのが「ARPA※の向上」でした。(※Average Revenue Per Account。平均顧客単価。)
Qastは、ID数に応じて利用料が決まる料金体系を採用しています(一部プランでは200IDまで固定)。
多くのID数でのご契約が見込まれる大企業のお客様への営業・マーケティング活動は、それまでももちろん注力はしていましたが、プロダクトの機能や料金プランのつくりも影響して、当時はまだ小規模な人数で活用いただくケースが非常に多く、ARPAが現在と比べて約57%の値にとどまっていました。
シリーズBへ向かうために、「ARPAの向上」を重要な戦略として掲げ、2022年10月には大規模組織での利用に適した「ワークスペース機能」をリリース。私が入社したのは、この機能を携えて、いま一度、大企業のお客様へのアプローチを増やしていこうとしていた、そんな時期でした。
大企業からの受注、そして数千・数万名規模での導入を増やしていくために、デザイン面ではビジュアル品質の向上によって「サービスの信頼性」を高めることが急務ではないかと、入社前から考えていました。
toB SaaSの多くが同じような流れをたどると思いますが、Qastもまずはプロダクトの機能的価値を高めることに注力してきたことや、ごく限られたリソースでスピーディーに施策を展開していかなければいけないといった当時の状況から、営業・マーケティング活動で使用される各種マテリアルのビジュアルには伸び代が多く残されている状態でした。
しかし、Qastは「社内のナレッジ」という秘匿性の高いデータを扱うサービスです。大きな企業であればあるほど、重要な競争資源である社内ナレッジの取り扱いには慎重であるはずで、それを蓄積するサービスには当然ながら高い信頼性が求められます。そうした信頼性を感じさせるためには、それなりに高いビジュアル品質が必要となってきます。
また、洗練されたUIのtoCサービスに慣れ親しんできたビジネスパーソンが増えていることから、toBサービスのビジュアルに対する感度も高まってきているのではないかと個人的には考えています。実際、連結で2万人以上の従業員がいる大手製造業のお客様との商談に同席した際に、先方が「若い社員が”使いたい”と感じるUIかどうか」をサービスの選定基準の1つに挙げられていたことがありました。
デザイン品質の向上によってサービスの信頼性を高め、それによって大企業からの受注を後押しし、ARPAの上昇を実現させて事業成長を加速させる。こうした思考から、入社後の1年間はQastのブランド面のデザインクオリティ向上に注力することにしました。
デザインクオリティを高めていくためにまず重要だと考えていたのが、「基準」と「体制」をつくることです。
私は、SaaS企業におけるブランドのデザインは、ロゴとサービスサイトが核になると考えています。
これらはいわばサービスの看板のようなものです。顧客がQastと出会い、導入に至るジャーニーの中で一番最初に目にするビジュアルであり、サービスの印象を大きく左右するものだと思います。
特にロゴはすべてのデザイン要素の源になるものであり、「すべてはロゴからはじまる」と言っていいほど重要なものだと考えています。
まずはロゴ、そしてサービスサイトのデザインを変えなければ、ブランド全体のデザインクオリティを高め、信頼性を向上させていくことは難しいと感じ、入社前からリブランディングの必要性を唱え、採用のオファーを受諾した時点で、リブランディングを実施する方向で経営陣の合意を得ていました。
また、強いブランドと一貫性のある顧客体験をつくるために、BXデザインとプロダクトデザインを分断せず、統合的にデザインできる体制をとっています。
これは前職のユーザベースで、BXデザイナーとUIデザイナーが連携しやすい組織体制になった途端に、両者の協働が一気に進み、それまでやや分離された印象のあったブランドとプロダクトの世界観が一貫性のある統一感のあるものになっていったのを当事者として体験した経験から考えました。
例えば、販促物では「青色で優しい印象」で統一されていたビジュアルだったのに、実際にサービスを導入してログインしてみると「紺色でシャープ」な世界が広がっていたとしたら、顧客のそのブランドに対する印象は混沌としたものになり、信頼や愛着は湧きにくくなります。
極端な例に感じられるかもしれませんが、ブランド側とプロダクト側で別々のミッションを掲げるなど、連携がとりづらい体制になっていると、色や形などの小さなズレがいつまでも修正されないまま蓄積していきます。
それが積もり積もって一貫性のない顧客体験となり、サービスの価値を毀損する、という事態は容易に起こり得ることです。
Qastの思想 (プロダクトフィロソフィー) を軸に、ブランドとプロダクトで一貫したビジュアル表現をおこない、統一された世界観を実現することが、信頼性を高める上で非常に重要だと考えています。
基準と体制づくりの他に、ステップの設計も意識していました。
前職でSaaS事業のリブランディングに取り組んだ時の経験から、SaaSのブランドデザインは以下のようなステップをたどると考え、Qastでもこれを意識して取り組んでいきました。
Step1: 模索期
Step2: 構築期
Step3: 浸透期
Step4: 発展期
ここからは、入社してから現在までの構築期〜浸透期の間に実際におこなった具体的な取り組みをご紹介していきます。
まずは入社後すぐに、ロゴとサービスサイトのリニューアルによってデザインクオリティの「基準」を構築していきます。
前述の通り、入社前にすでにリブランディングを実施する方向で経営陣と合意をとっていたこともあり、初出社の1週間後に開催された全社会で、早速Qastのリブランディングをおこなうことを発表しました。この時点ではまだ具体的なデザインについては言及せず、「ブランドの信頼性向上のために造形のクオリティを高める必要があるため」と、目的を簡単に説明するのみにとどめました。
その2ヵ月後の2023年3月の全社会で、「なぜロゴを変える必要があるか」「今のロゴのどのあたりにブラッシュアップの余地があると感じるか」について具体的に説明するとともに、この時点で自分の中で有力だったデザイン案見せました。
「そんなふうにロゴを見たことがなかった」「ロゴの形からそんなことを考えるのか」といった新鮮な反応がメンバーからは返ってきましたが、感覚的な造形の話も、論理的に言語化して伝えればしっかり伝わるのだなという感触をこの時に感じました。
そして2023年4月の全社会で、ほぼ現在のロゴの状態に近いデザイン案を見せています。ちなみに3月時点で有力だと思っていたロゴとは方向性もかなり変わっており、まだこの時期は自分の中でも揺れていたことが分かります。
4月の有力案ができた時点で自分の中では「この方向でいくと良さそうだ」と考えていましたが、ロゴの変更はその後のQastのブランドとしての見せ方すべてに影響を与える重大な変更になるため、セールスへのマイナス影響がないかは確認しておきたいと思い、セールスメンバー全員に対してロゴ案についての感想をヒアリングしました。
結果として特に懸念の声は出なかったため、経営陣ともすり合わせて4月の有力案の方向性でいくことに決定。ここからさらに細部の検証・精緻化を進めていきました。
途中、別のプロジェクトの関係で中断していたこともあり、最終的には9月に完成し、2023年10月に対外的に発表しました。
リニューアルしたQastのロゴ
サービスサイトも合わせてリニューアルをおこなっています。こちらは2023年3月にマーケティングチームからワイヤーフレームを受け取り、その後すぐにTOPページのデザインに着手しました。着手した時点ではロゴの方向性がまだ固まっておらず、手探りで進めていましたが、その後4月に決定案となるロゴのデザインができたため、そこからはロゴとの一貫性を意識してデザインを進めていきました。
2023年5月ごろには下層ページのデザインがおおむね出来上がり、実装フェーズを経て、2023年10月のリブランディング発表と同時に公開しました。
ロゴ、サービスサイトのリニューアル前後を比較すると、以下のように変わっています。
新しいトンマナの核、そしてデザインクオリティの基準となるロゴとサービスサイトが完成し、クリエイティブの指針が固まった構築期が終わり、次はその世界観を各種マテリアルに展開する浸透期に入ります。
とはいえリソースは限られており、一気にすべてのクリエイティブをリニューアルすることは不可能なため、優先順位を考える必要があります。私は常日頃から、以下の内容に該当する制作物を優先するようにしています。
全体のデザインに与える影響が大きいもの(ロゴ、サービスサイトなど)
事業インパクトが大きいもの(展示会ブースなど)
より多くの人や不特定多数の人に見られるもの(広告バナーなど)
逆に、「一時的に使われるもの」「見る人の数がやや限定的なもの」については、状況次第で対応の優先度を下げることもあります(後者の例としては、フォームに入力してダウンロードした人しか見ないホワイトペーパーの中面のデザインなど)。もちろんこれらを軽視しているわけでは全くなく、現在の限られたリソースで最大の結果を出すための選択で、ゆくゆくはしっかりと整備したいと考えています。
信頼性向上に寄与する新しいデザインが、ロゴやサービスサイトという核から、各種マテリアルという層に浸透していき、それが大規模なID数での導入、ひいてはARPAの向上へと繋がっていきます。
Qast事業にとって、展示会は受注への貢献度の高い重要なマーケティング施策です。
数万人という非常に多くの来場者が訪れ、潜在顧客にサービスの存在を認知していただく場としても機能していることから、リブランディングを発表した2023年10月から早速、展示会ブースのデザインを一新しました。
一般的に、展示会ブースは専門の制作会社さんにプランを提案いただくケースがほとんどだと思いますが、私自身が空間デザインのバックグラウンドを持っていることもあり、弊社では基本的な平面図の制作、素材選定、寸法の検証、壁面グラフィックの制作などを社内でおこなっています。
(詳細図面の制作や施工会社さんとの連携はパートナー企業にサポートいただいています。)
基本設計を社内で対応することで、anyやQastの思想、マーケティングの戦略や戦術、細かいオペレーション、デザインのトンマナなどをブース設計により強く反映させることが可能になっていると感じます。
展示会ブースのデザインについてはまた別途Cocodaの事例で詳しくご紹介できればと思っていますので、そちらもぜひご覧いただければと思います。
セミナーバナーのリニューアルも行いました。
Qast事業ではセミナーは新規リード獲得というよりは既存リードへのナーチャリング施策として開催されているため、セミナーバナーがSNS広告として広範囲に露出されるということは現状としてはありません。
ただ、集客のための訴求においてビジュアル表現が果たす側面も大きいことから、Qastのブランドデザインを考える上で重要なマテリアルであると捉えています。
私の入社前は、セミナーバナーは以下のようなデザインでした。
リブランディングを経て、現在は以下のようにアイデンティティを反映したバナーデザインにリニューアルしています。
サービスサイトのお役立ち資料(ホワイトペーパー)のページでは、表紙の画像も含めてデザインを刷新。
より統一感と明るさを感じさせ、「ダウンロードしたくなる」気持ちを喚起させるよう意識してリニューアルしました。
お役立ち資料ページは、リニューアル前は以下のようなデザインでした。
リブランディング後、以下のように刷新しています。
営業資料やサービス紹介資料もリニューアルを行いました。
大切な投資をするに値するサービスであることを伝えるには、丁寧で行き届いたデザインによって信頼性を感じさせることが有効です。
ただ、もちろんすべての商談の資料をデザインすることは現実的に不可能なので、基本フォーマット(雛型)となる資料を私の方でデザインし、個別の商談にはその雛型を応用・アレンジする形で使ってもらっています。
リブランディング以前は、サービス紹介資料は以下のようなデザインでした。
これを以下のようにリニューアルしました。使用するフォントや色は、サービスサイトで使用したフォントやカラーと揃えています。
浸透期は、ブランド側で新たに作られたデザインをプロダクトに反映させていくフェーズでもあります。
Qastは最初のローンチからすでに6年以上が経過しているプロダクトで、UIの面でも初期のデザインの名残りで少し古い印象を感じる部分や、ユーザーにとって使いにくい状態のまま残ってしまっている部分が存在します。
そうした箇所の改善と、リブランディング後のデザインの世界観を反映すべく、UIリニューアルに向けて動き出しています。
また、リブランディングとは別軸で「目の前の機能要望に応える形で開発を進めていった結果、自分たちがQastをどんなプロダクトにしたいのかが見えにくくなっているのではないか」という課題感もありました。
この課題とリニューアルの話を合わせて話す時間を確保するために「プロダクト未来会」という会議の立ち上げを提案し、そのファシリテーションを担当しています。
この未来会を通じて、anyが今後展開していく一連のプロダクト群の構想なども生まれ、それがシリーズB資金調達のピッチデックに盛り込まれたりもしました。このあたりのお話は今回の本筋からは外れるのでまた別の機会にまとめたいと思いますが、デザイナーとして非常に良い経験が得られました。
リニューアルに向けての本格的な動きはまだ始まったばかりですが、一部ページのリニューアル案をコンセプトモデル的にデザインし、それをもとに議論を進めていっているところです。
ブランドとプロダクトを統合的にデザインし、一貫性のある魅力的な世界観とプロダクト体験を作っていきたいと思います。
このような取り組みを経た結果、事業数値はどのように変化したか。まず重要KPIと位置付けたARPAは、2024年10月時点で私の入社前の2022年10月と比較して約1.7倍に上昇。また、数万人規模での導入実績や導入検討の案件も増えてきています。
もちろんこれは、生成AIを活用した機能群「Qast AI」のリリースとそれによる料金プランの変更、セールスやカスタマーサクセスによる顧客との関係構築など、プロダクト・レベニュー両面での各種施策が奏功したものではあります。
ただ、その土台や素地として、「デザインクオリティの引き上げによるサービスの信頼性向上」が果たした役割も、それなりに大きかったのではないかと考えています。
レベニュー(ビジネスサイド)責任者の執行役員・木村からも、デザインの進化がQast事業にもたらした効果として、以下2つの評価をもらっています。
信頼性向上によって大企業からの引き合いを増やし、高単価受注を実現しやすくなった
重要なマーケティング施策と位置付けている展示会において、ブースデザインのクオリティによって一定の信頼性を感じていただけている状態からお客様との会話をスタートでき、商談獲得のしやすさに繋がっている
また、自分自身が大規模な導入案件のための営業資料をデザインしていた時に感じたこととして、比較的大きな金額の年間利用料の提案を記載しても、十分に耐えられる信頼性や説得力を感じさせることができるようになった、ということがあります。
そして2022年6月のシリーズAから2年半、サービスの信頼性を高めると同時にプロダクトを進化させてARPAの向上を実現し、プロダクト・レベニュー・コーポレートなど全員が総力を挙げて事業成長に向き合った結果、2024年12月4日にシリーズB資金調達の完了を発表することができました。
昨年2023年の1年間は、今回ご紹介した通りQast事業のブランド面のデザインに注力していました。今年2024年の1年間は、資金調達プレスリリースに合わせてコーポレートのブランド面のデザインに注力し、コーポレートサイトのリニューアルやコーポレートロゴのリファインを実施。
事業とコーポレート、ともにデザインレベルの底上げが少しずつ完了し、2人目、3人目のデザイナーの方に活躍いただくための土壌づくりはかなり進んできました。
実はこうした動きは、入社時点から計画していた5ヵ年ロードマップに沿ったものでもあります。
来年からはいよいよプロダクトのリニューアルに向けた本格的な動きが始まります。さらにプロダクト面では新規事業のデザイン、ブランド面では2年間で整備してきた土壌をベースにさらに表現を磨き上げ、完成度を高めるフェーズへと進んでいく予定です。
今後も事業とコーポレートの両面、そしてブランドとプロダクトの両面のデザインを通じて、事業成長と良質な組織文化の構築に貢献していきたいと思います。